おはざいます。Yusukeでございます。
ああすみません。アーニャが好きすぎてアーニャみたいな挨拶をしてしまいました。もう29歳のアラサーキモニートみたいな男なのに。
さて、本日は、
土曜の昼間に嫁に「子供と公園行ってきなよ」と言われたが、疲れてたので一旦検討してみたら普通に気まずい空気になった。しかしそこから日本という国の根深い問題が見えてきた。
という話をします。
それではどうぞ。
土曜日の朝。私、起きる。
AM9:00
朝の歯磨きや着替えなどの支度が終わり、リビングのテーブルで私はスマホで漫画を読んでいて、娘はiPadでYouTube Kidsを見ていた。
そんな時、嫁が言った。
「暇そうだね、◯◯(娘の名前)連れて公園行ってきたら?」
・・・
「(めっちゃめんどいやん)」=これは心の声なので言ってない
そして私は言った。
「ああ。」
そこから10分後。私は動かない。いや、動けなかったのだ。考えていた。
「(嫁の言っていることはわかる。正論だ。でも疲れてんだよなあ。動きたくねーーーーー。昨日深夜3時までマンガ読んじゃってたしなあ。でも子供からしたらそんなの関係ないしな。どうしよ。)」
そう考えていたのだ。
そこから嫁は不機嫌になっていった。
そりゃそうだ。
「暇なら公園に行ってこいよ」と言ってるのに旦那はボーッとして動かないからだ。普通に「こいつ何してんねん、はよ動けや」と思っていたのだろう。
気まずくなった。
私は言った。
「これ、日本の家庭でよくあるやつやん。あるあるのやつやん。平日は嫁は育児とか家事で疲れて、旦那は仕事で疲れて、だから土日になると嫁側の言い分としては“旦那が子供連れて遊びにでも出かけろよ”となるが、旦那側からすれば“こっちだって平日仕事して疲れてんねんぞ”ってなるやつやん。」
すると、嫁は言った。
「確かに。でもそんなこと言われたら母親はいつ休めばいいの!?」
私はびっくりした。おかしい。話が飛躍している。
私としては、今回の事実から分析をして、ただ単に「日本ってこういうケンカになる家庭が絶対多いよね」という事実を述べただけなのに、いきなり嫁側の主観的な意見をぶつけられている。
だが、私は反論しなかった。
なぜなら、これまでの嫁と付き合ってからの10年で「男は正論をぶつければぶつけるほど女との戦況が悪くなる」ということを嫌と言うほど思い知っているからだ。
と、言いたいところだが、10年経っても何も学んでおらず、私は反論してしまった。本当に男はバカである。死ぬまでバカなんだろうな。
「いやいや、そんなこと言ってないやん。そんな被害者ヅラすんなよ。そんなこと言い始めたら俺だって平日仕事してんだからイーブンだろ。」
言った後に後悔した。意思とは無関係に勝手に口が動いていたのだ。多分病気である。
そして、「プチン」と嫁の何かがキレる音がした。ちなみに嫁はインターハイ選手。普通にやったらやられるのは俺の方だ。
そこから30分ほど、不穏な空気が流れた。
まさに第二次世界大戦後の世界を二分した西側諸国(アメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義陣営)と、東側諸国(ソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営)との対立構造を描いたような“冷戦状態”である。
※イキりましたがWikipedia引用です、私の偏差値は40
そこから私は考えていた。
本来であれば「嫁に謝罪して和解する方法」を考えるべきなのだが、私はもっと壮大なテーマについて考えてしまっていた。
これは日本という国の問題だ。間違いない。多くの家庭が必ず同じ問題に直面している。
この問題を解決するためにはどうすればいいんだ?自分の家だけが解決する方法であれば、祖父母の家に毎週末だけ預ければいいのかもしれないが、それだと祖父母もたまには休みたいと言うかもしれないし、そもそも他の家庭では祖父母が近隣にいないケースも多い。
悩ましい。しかし大前提として優先されるべきは子供である。子供が毎日幸せに楽しく暮らせる社会。システム。そんなものが必要だ。
どうすればいいのだろうか?週末とかに“子供を少しだけ預けたい親”と“子供と遊びたい老人や子供ができなかった夫婦”を結びつけるようなプラットフォームがあればいいのか?
けれど、集まる人間がロリコンだったら困るし、それを判別するシステムも思いつかない。そもそも需要と供給のバランスも調べる必要があるし、お子さんがいない家庭とかもSNSで炎上する可能性もある。
「ううむ・・・」
私は答えが出せなかった。
だから、考えるのをやめた。確かにこうした国の問題を全て自分だけで解決できればそれに越したことはないが、無理である。
ポジティブに諦めた。数年後に今やっている事業がうまくいってお金の問題がマジで何も無くなって暇だったら、政治家にでもなろうか。
今の自分にできることをやろう。そう思い、この記事を執筆している。
このアクションは非常に小さなものかもしれない。
しかし、この記事を読んだ方が何かの行動を起こして、そうした小さな行動の積み重ねが国を変える1つのキッカケになればと願っている。
それでは、マタアイマショウ。ありがとうございました。