2018年から副業に取り組み、本業と副業の収入を合算すると年収1000万円を超えた25歳の真相に迫ります。
25歳・商社マン・年収1000万円
突然ですが皆さんはこのスペックだけを聞いてどう思われるでしょうか?
「勝ち組・高所得」だと思いますでしょうか?
日本において年収1000万円以上の世帯比率は4%です。
そう聞くとかなり上位層に位置しており、憧れなどの気持ちを抱いていただけるかもしれません。
しかし当時の僕は満たされることがなく、悶々とした思いを抱え続けてました。
なぜ幸せな生活と年収1000万円を捨ててまで原田は脱サラしたのか。
その全貌に迫ります。
全貌と言いましたが、理由は1つです。
それは、、、
コンフォートゾーンにいたからです。
コンフォートゾーンには快適な空間などの意味はありますが、簡単に言うと「ぬるま湯」のことです。
わがままを貫きたい。
我慢なんて絶対にしたくない。
そんなコドモのような思いを抱き、当時の僕は走り出しました。
バイナリーで地獄を見せられても立ち上がり、株式投資ではアクションすら起こせず挫折し、何とか転売に行き着き1年間走り続けました。
そうすると、気づけば本業で600万円、副業で400万円の年収1000万円を得る状態まで来ることができていました。
必死で走り続けたことによる疲労感と達成感、キリのいい1000万円というラインにより僕はコンフォートゾーンへ突入してしまったのです。
居心地が良くて抜け出せないことが多く、この業界では、本業でそこまで生活に困っていない人などが結果を出しにくい状態などを揶揄してよく使用されます。
欲望と反骨心だけで活動してきた僕でしたが、いつの間にか熱い想いを無くしてしまったのです。
副業で収入があるので本業にも身が入らない。
副業も月初の1週間程の活動で30〜50万円を稼ぐことができるので身が入らない。
そこまで頑張らなくても「25歳/商社マン/年収1000万円」というスペックになるので、当時の僕は本気で人生をなめくさっていました。
友人と飲むと年収の話になることも多かったので、そんな時はとりあえず年収1000万円と言うワードを出しておけばヒーローでした。
それも気持ち良かったですし、何より奥さんがそのままでいてほしいと言ってくれていたのも大きかったです。
そりゃあ当然ですよね笑
旦那が「成功するかわからない脱サラ起業家」よりも、「大手商社マンで年収1000万円」という方が遥かに安心感はあると思います。
そんなこんなで僕は夢を忘れ、いつの間にかただの「何も頑張れないクソ野郎」になり下がっていました。
しかしある時、メンター主催の勉強会で大阪に住む年商3億円の社長と出会いました。
一晩お酒を飲ませていただく機会もあり、そこで目が覚めました。
その社長さんも、僕と同じく副業で転売からスタートし年商3億円まで登り詰めている。そして当たり前のように「通過点なので」と言っている。
社長さんの右腕となる爽やかお兄さんもいましたが、年商3億のうち8000万円を1人でこなしていました。
ちなみに僕の年商は2000万円だったので、正直ドヤァみたいな状態でしたがもう黙るしかありませんでした。
え、俺って全然カスじゃん。
心を折られ、目が覚め、そこから僕は当時抱いていた野望を思い出し始めました。
あの頃願ったレンジローバーやBMWも、ロレックスやHUBLOTの時計も僕の手元にはない。
平日の昼間から銭湯でビールを飲むという永遠の願いも叶う気配がない。
妻が望む生活は確かに手に入れられるかもしれないけど、夫婦は依然共働きだし、僕が欲しかった物は何一つ手に入れられていない。
何をしていたんだ。。。。
とひどく落ち込みました。
確かに貯金が1桁万円になったあの頃の地獄から比べれば、随分と余裕も生まれてきた。
しかしやっすい中華料理屋で奥さんと語ったあの夢、泣きながらベッドで己に誓ったあの野望、何一つカタチをなしていない状況を受け止め、また走り出そうと決めました。
その為にはこの甘ったれの環境を変えなければと思い、脱サラしたのです。
確かに怖かったです。いや、むしろ今でも怖いです。
でも頑張れることができず、このまま夢を叶えられないまま死んでいく恐怖に比べたら天秤にかけるレベルですらありませんでした。
やりたいことをやって後悔せずに逝きたい。
その為には常に前だけ向いて走り続けなければなりません。
今はまだ、友人にも奥さんにもニートと言われます。ヒモとも言われます。
ヒモだろうがニートだろうが僕はやるしかないのです。
でも不思議とコンフォートゾーンにいたあの頃よりも今の方が充実しています。
確実に自分の人生を歩むことができていると感じますしね。
もし、今何か動き出せずに困っている、頑張りきれずに困っているという方がいましたら、意識的にコンフォートゾーンから抜け出してみることをオススメします。
怖いという感情はデフォルトですが、人生を変える為にはこうした壁を幾つか乗り越えなければなりません。
ビビりまくっていきましょう!!
P.S.
年商3億円の社長はアウディに乗り、バレンシアガのパーカーを着ていました。
僕はそれだけで頑張れました。
