Profile

Yusuke(@ysk127272)

年間の降雪量が沖縄・宮崎と同率最下位にランクインする程の温暖な気候で有名な静岡県に生まれ育ち、大学進学を機にお隣の愛知県に移り住んでからはずっと愛知在住です。

・落ちこぼれ
・家が貧乏
・コミュ障
・低学歴

と言った、インターネットビジネスの世界では割とありがちな初期設定を1つも持ち合わせていない僕ですが、25歳の時に将来安泰コースだった大手商社を辞めて起業しました。

当時は本業と副業併せて年収1000万を超えていたので、パッと見は奇行以外の何ものでもなかったはずです。

しかし、今は確実にあの頃よりも幸せです。

最近は朝から銭湯で露天風呂に浸かってご老人とダベったり、娘にパパ嫌いと言われない為にジムで体をいじめたり、昼からハイボールで優勝したりして過ごしています。

【現在の仕事】

■国内物販ビジネス
■Webメディア運営
■個人向けのコンサルティング(物販・情報発信)
■少数精鋭ビジネスコミュニティの運営
■セールスライター

愛知県にある体育系の大学を卒業後、そのまま「モテそうだから」という理由だけで商社に入社。

その後、副業で物販ビジネスを実践。

このまま会社に勤めていてもシンプルにつまらないし欲しいものが何も手に入らないことに気づく。とにかく会社を辞めたかった僕は、副業収入が会社の給料の3倍近くになったタイミングで独立・起業。

このサイトでは「ジコチュー」をコンセプトに、常識など目に見えない何かに縛られて人生をつまらなくなってしまっている人を少しでも減らす為に運営をしています。

今はPC1台あればサラリーマンの生涯賃金を数年で稼ぎ切ることが普通に可能な時代です。

経済的・時間的に縛るものがなくなれば僕らの人生はもっとより良くなるはず。世間的にはワガママと言われようとも、実現してしまえばそれは理想論ではなくなります。

キレイゴトなんていらない。自分の人生、欲張りに生きれるように「今」を頑張りましょう。

幼少期〜学生時代〜就活

本の横にバックパックを持つ男

僕は優しい両親の元で割と恵まれた家庭に育ちました。

その甲斐もあってか、厨二病以外の病気などは一切せずに健やかに育ちました。

まあ幼少期の記憶は特にありませんが、シャイで女の子にうまく話しかけられないタイプでだったのは覚えています。

その反動でモテたくて起業をしているので、幼少期のシャイに感謝しなければですね。

僕は結構見た目のせいで陽キャに見られがちですが、実は自分に自信が全くないタイプの繊細人間でした。人の目をすごく気にするような性格の子供でしたね。

そうなった理由はよくわかりません。

多分普通に生まれつきだと思いますし、何なら国民性な気もしていますので日本の教育が悪いとも思っています。

そんなこんなで、高校時代は不本意でしたが他薦によりバレー部でキャプテンをしたりもしました。

人から過度な期待をされるのは嫌。でも期待されないのは、それもそれで嫌。という性格でした。非常にメンドくさい性格ですね。笑

そんなこんなで高校生活を終え、

・一人暮らしをしてみたかったから

という何とも多感な10代の時にありがちな理由で、お隣の愛知県にある大学に進学をしました。

自分で望んだはずなのに、1年生のうちは最低でも1日5回は「地元帰りたい」とボヤくほどにホームシックを発症していました。

しかし同じような境遇の友達もできたりして、その友人たちの家に泊まり込むことで次第にホームシックは治っていきました。

その代わりに大学生の登竜門と呼ばれる酒とタバコを覚えてしまい、どっちが良かったのかは今でもわかりません。

根が真面目なところもあるので授業は全てフル単でした。

(※フル単=自制心が試される大学生活というステージで、自分に打ち勝った英雄に与えられる称号)

そんなありきたりな学生時代に見つけた最大の趣味として、「お風呂」があります。

いわゆるスーパー銭湯のことですね。

バレーとお酒以外に趣味もなかった僕が唯一見つけられた趣味で、4年生の頃は授業もほぼなかったので毎日のように通っていました。

コンビニの夜勤バイトを終えてそのままオール(時代錯誤ワードw)で朝から銭湯に行き、明るい空を眺めて露天に浸かり、風呂上がりにビールを飲んで休憩所で昼まで寝る。

という生活をほぼ丸一年続けていました。

絶対にこの幸せだけは手放さない。そう決めました。

ちなみに平日朝の銭湯はご老人しかいないので、時の流れが非常にゆっくりに感じます。ザ・ワールドの一歩手前みたいな感じですね。

しかし、僕の夢の銭湯生活も長くは続かず、やがて就職活動の時期がきます。

就活に関しては、当たり前にやりたいことなんて一つもなかったので、とりあえず

・入ったら親が喜びそうなところ
・モテそうなところ

だけに絞って面接を受けました。

結局、

・モテそう
・年収高い
・土日休みなら趣味のバレーの大会にも出れる

という理由だけで商社に入社をしました。

その商社では採用する人材を「英語ができるグローバル人材枠」と「どれだけ怒っても潰れない営業確定の脳筋枠 」とキレイに分けていた為、

やる気を出すフリだけは得意な僕は後者枠で面接を突破し、晴れて僕は商社マンとなりました。

社会人時代

昼間に建物の近くを歩いている傘の下の人

面接では「怒られても耐えられますか?」という結構闇な質問に「YES!」と答えた甲斐もあってか、しっかり営業部に配属されました。

しかし僕は固定給という業態にやる気が起きず、営業マンとして何も成果を挙げられませんでした。

恐らく世の中の全新入社員のうち9.99999割が抱くであろう「社会人超つまらん」という壁にぶつかったのです。

お客さんに営業をする時も、バカ正直に「他社の方が安いですよw」とか言っちゃう営業マンでしたので、会社からしたら本当に金食い虫でしかありませんでした。

当たり前に上司や顧客から罵詈雑言は飛んでくるし、「今日もワンオクだったぜ…!(深夜1時退勤の意味)」とか言っている先輩の残業自慢は始まるしで、

2年目で年収500万くらいはもらえることを差し引いても、到底僕には定年まで働く自信が持てませんでした。

そんな中で大学時代から交際をしていた彼女と23歳で結婚をし、僕の中の感情はもう色々渦巻き過ぎて訳がわからなくなってきました。

・会社は辞めたい
・一生働きたくない
・外車欲しい
・マイホーム欲しい
・朝から酒飲める生活がしたい
・平日の昼間から銭湯に行きたい
・男として奥さんは幸せにしなければいけない
・何で週に5日も働かなきゃいけない?

他にも書き出そうと思えば百近い理想がドンドンと出てきますが、軽く書き出してみるだけでも、これくらいの感情がもう止められなくなっていたんですよね…!

一つだけ確かだったのは「このまま会社員をしていても理想の未来は掴めない」ということです。

今まで順風満帆に生きてきたという過去の正体は、アンパイばかりを狙い冒険などしてこなかったという証拠だと気づきました。

周りの目ばかりを気にして生きることをやめ、本当の意味で自分の人生を生きる決意をしました。

真面目にいい子ちゃんで生きてても社会は僕を幸せにしてくれない。

この事実に気づいた時はショックでもありましたが、反対にふっきれたような気分にもなりました。

そこからは狂ったように会社を辞めることに全精力を注ぎ、自分の人生を彩る為に走り出しました。最初に取り組んだのは、かの有名なバイナリーオプションです。

「これで一発逆転や!」と、普段全く使うことのないエセ関西弁が出るくらいに意気込むも、奥さんとの結婚式費用で貯めていた150万円を3ヶ月で無事全部溶かし終了。

流石の僕も奥さんには土下座レベルの平謝りをし、そこから2ヶ月程は牙を抜かれた獣のように大人しく会社に勤めていました。

しかし、どうしても自分の昂りは抑えきれず、気づけば次の稼ぎ方を探していました。

流石に学んだのか次はコツコツいこうと思い、今もずっと続けているネット物販に取り組み始めました。

物販(=転売)のプロでもある商社で働いていたこともあってか、物販は誰でも稼げるとは思っていたものの、小銭稼ぎみたいなイメージが抜けきれず敬遠していました。

けれどそんなことを言ってられる状態でもなかった僕は死に物狂いで取り組み、無事に3ヶ月で月収30万、半年で月収50万という成果をあげられるようになりました。

起業後〜現在

Portrait of Man on City Street

会社員時代の2倍以上の給料を副業で稼げるようになったタイミングで、かねてからの「独立・起業・脱サラ」という理想が現実味を帯びてきて、多少の不安もありましたが商社を辞める決断をしました。

実際に独立をしたのが2019年の5月で、その1年後にはひと月の収益も100万を超えてくるようになり、同年の11月には別で進めていた情報発信だけでも100万を超える収益を生めるようにもなりました。

社会人経験は丸三年程なので周りからは散々言われましたが、今でも会社を辞めたことは全く後悔していませんし、むしろ希望しか抱いていません。

会社員が全て悪いとは言いません。

しかし、当時の僕は上司を見れば自分の未来が容易に想像できてしまい、その「見え過ぎている未来」が何よりも辛かったんですよね。

よく「敷かれたレールの上を走る」という表現がありますが、まさに僕もそれで、自分の人生なのに誰かの人生を生きている感じがひどかったのです。

結末のわかっているストーリーに面白味を感じないように、終わりが見えている自分の人生に対してワクワク感が皆無でした。

しかし不安になりながらも自分で一歩を踏み出したことで、今では大学時代に見つけた趣味の銭湯にも毎日朝から行けますし、昨年生まれた娘とも毎日遊んで暮らせます。

念願だったマイホームも今年建ちますし、年内に法人化をする予定もあります。

まだまだ欲しいものはたくさんありますが、それらを全て手に入れるプランは確実に現実のものになりつつあります。

あなたは、一度きりの人生をどう生きますか?

今の時代は制約もしがらみも多くて、とても挑戦しにくい世の中になっていることは僕も感じています。目に見えない常識やルールが多くて息が詰まりそうになりますよね。

でも、そんな泣き言を言っていても何も変わらないのも事実です。

幸いにも今はインターネットという手段を駆使することで確実に理想を掴みやすくなっているのも事実です。

僕らの人生をより良いものにしていくのは、他でもない僕ら自身です。

ぜひ、僕のプロフィールを読んで頂くことで、何かアクションを起こすキッカケになれば嬉しいです。未来は明るいですよ。

過去の僕のような凡人でも情報発信ビジネスが構築できるステップを大公開

僕は25歳で転売ビジネスに取り組み年商5000万を稼ぎましたが、全く幸せになれなかったので全てを一度放棄しました。

それは、常に自分が動き続けなければいけないビジネスモデルだったからです。

自由を求めて安定の会社員ルートを放棄したにも関わらず、むしろ状況は悪化していました。

しかし、情報発信ビジネスで資産を構築したところ、労働時間ゼロで転売ビジネス以上の収益を得ることができるようになりました

好きな時に月100万円くらいなら稼げる自分になれたのです。

そのおかげで家族との時間も好きなだけ取れますし、毎日昼間からハイボールを飲むニートのような生活もできます。

・・・が、こんなことを聞いても信じられないかもしれません。

もし信じられたとしても、「あなただからできたんでしょ」と思うかもしれません。

今はまだそれでOKです。

でも、僕は幼少期から家族にバグと呼ばれて育ってきましたし、親のお金で進学したFランクレベルの大学(名前を書けば入れる)でも酒とタバコしか覚えてきませんでした。

日本中を探してみても、これほど大卒という肩書きを無駄にしている人間はそういないでしょう。

なので、もしもあなたがゼロから情報発信ビジネスを始めてみたいと思っているのであれば、かなり参考になれる自信があります。

最初からスキルや才能に恵まれた天才が語るような話ではなく、本当に全てがゼロからでも実現可能なリアルをお届けすることができます。

その情報は無料メールマガジンでステップごとに解説をしていますので、ぜひコチラから受け取ってください。(完全無料です。)