こんにちは、Yusukeと申します。
このページでは、僕が「2億以上売り上げたせどりを引退した理由」と、そこから「情報発信だけで月収300万円を超えた経緯」ついてまとめました。
最初に、30秒くらいで僕のことがわかるように説明させて頂くと以下のような感じです。
■社会人2ヶ月目で脱サラを決意するも、バイナリーオプションで貯金150万円を全て溶かし無事死亡
■電脳せどりだけで家族5人を10年以上養い続ける元トラック運転手のメンター(強面)に出会う
■睡眠時間3時間の生活を続けて死ぬ気で電脳せどりに取り組み、半年で副業月収50万円、年商5000万を超えて累計2億円以上を売り上げ脱サラ
■情報発信を開始してブログ300記事・メルマガ150通以上を気合いで書くも、1円も稼げないという地獄を経験して涙目
■20代前半で数億円を稼いだWebマーケッターと出会い、情報発信の正しい知識を学ぶことに成功して一瞬で情報発信の成果が出始める
■コンサルティングやコミュニティ運営を始めて月収200万円を超えて天狗になる
■しかし、プラットフォーム依存や利益率の低さから「せどりはずっとするものではないな」と思い、せどり関連の事業全ての引退を決意
■一時は家族がいたのに収入がゼロになるも、情報発信だけで月収300万円まで数ヶ月で到達
■過去の自分の経験を活かしてせどり情報発信者の指導をメインに、業界を超えた情報発信者や法人相手にもコンサルをするようになる
■教え子は中卒から65歳のオッチャンまで個性も幅広く、僕より稼ぐ人や脱サラする人、月収100万を超える人が続出する
■脳ミソとPC1台だけで何度でも復活できるだけの自信を手に入れて経済的な不安から完全に解放される
■今はWeb広告を利用した完全自動化で年利億超えの仕組みを構築している最中
一時はせどりから「OEM/自社ブランド販売の物販会社」を経営する方向に進もうとしましたが、僕はゆとりだったので無理でした。
組織を大きくすればするほど自由からは遠かると感じたからです。
しかしそのおかげもあってか、今ではほぼ働かなくても月100〜200万円くらいなら入ってくる仕組みも構築できましたので、進んだ道は間違ってなかったなと思います。
でも、僕は元々本当にゴミレベルの人間でしたので、せどりから情報発信に進んでいきたい人に夢を見せたいという思いも込めて「どうやってここまで来たのか?」を詳しく解説していきます。
幼少期:超優秀家系の「バグ」として育つ
1993年に静岡県静岡市で生まれ、男三人兄弟の末っ子として育つ。
キリスト教の幼稚園に通い、週2回はチャペル(教会のような施設)で礼拝をするという幼少期を送っていた。
ちなみに当時は礼拝の意味がわからず、お祈りに使うペンライトを振り回してぶん投げるという習性があった為、ペアの女の子はいつも「こいつ頭おかしいんじゃ?」と言わんばかりにこちらを見ていた。

僕は家が貧乏とか、コミュ障とか、ネットビジネス界隈にありがちな初期設定は1つも持ち合わせていない。
むしろ父親は年収1200万のエリートサラリーマンだったし、親戚は5人兄弟のうち4人が東大だったり、上場企業の会長だったり、一般家庭の中ではかなり恵まれた家系だった。
兄も学生時代から生徒会長をやるような人間で、スポーツ万能、頭脳明晰。
今は医療機関で国家公務員として働くようなガチガチのエリート。
しかし、そんなエリート軍団の中で僕だけが、典型的な落ちこぼれゴミクズ人間として育っていく。
学習塾やスポーツ教室などの習い事は少なく見積もっても10回以上辞めているし、中学校代は深夜徘徊で補導されてしまったり、家族からは「バグ」と呼ばれてここまで生きてきた。
両親は優しかったのであまり怒らなかったが、その代わりに兄たちからの言葉と力による圧力は日々続いた。
特に次男は人の心が欠けているサイコ野郎で、「お前は橋の下で拾われてきたんだよ」と真顔で言って詰めてくるような男だった。
何度もシバきたいと思ったが、兄の握力は65以上あったので、力に屈する他なかった。
高校時代:先輩にパシられまくり社会の厳しさを知る
真面目で優秀な兄たちは県内トップレベルの公立校に行くも、僕はしっかり受験に失敗して滑り止めの私立高校に通うことに。
しかし、たまたま入った高校のバレーボール部が県ベスト4常連という強豪で、当時身長160cmのチビガリだった僕は、190cm以上もある大男(先輩)たちに目をつけられてパシられまくる毎日だった。

当時、僕らの世代で流行っていた「MATCH(マッチ)」という炭酸飲料があった。
運動の後に飲むと悪魔的なウマさを誇るこのドリンクを、部室から一番遠い自販機まで行って時間内に買って来れなければボコボコにされるというシステムだった。
時間を過ぎてしまうと握力70kg以上もある怪物に本気で殴られるので、毎日死ぬ気でパシられていた。
他にも、わざわざ教員用の通用口を通るという条件付きで、吉野家を買いに行かされて、結局柔道部の顧問に見つかりボコボコにされたり。
遠征合宿でマリオパーティというゲームを夜通しやらされたり、顔にサラミを延々と塗り続けられたり、今思えば笑い話だが本当に地獄の高校時代だった。
2012年:クズ大学生の模範となる生活を送る
両親のお金で遊べる最後の夢の時間を楽しみに、愛知県にあるFラン大学に進学。
「地元を離れてデッケー男になる」と周囲に豪語して県外に出るも、ひどいホームシックに悩まされて半年間くらいは月イチペースで帰省をするというオチ。
しかし、次第に大学でも友達ができてきてホームシックもなくなると、持ち前のろくでなさを遺憾なく発揮し、クズ大学生の模範的なライフスタイルを確立。
酒・タバコに溺れて授業をサボる。バイトだけはちゃんと行く。全国の大学生の9.9割がこの生活リズムと言われている。

図書館の会議室を貸し切って「どうすれば社会人の歳上お姉さんのヒモになれるか?」を本気で講義してくれる友人がいたり、
大学に来てタバコだけ吸って帰る「学校を喫煙所だと勘違いしている」友人は数え切れない程いた。
この大学生活で得たことは、
・コンビニ弁当の廃棄のもらい方
・裏インターネットカジノで一晩で300万溶かす方法
・イッキの仕方とゲ○の吐き方
くらいのもので、年間120万という学費を親に払ってもらっているとは思えない程のしょうもなさである。
そんなこんなで大学生活も終わり、ついに地獄の就職活動が始まることになる。
これまでの学生生活を通して僕は「モテたいけどイキって全くモテない」という童貞丸出し男だった為、
と強い信念を持っていた。
なので、「大企業、特に商社マンはモテるらしい」という先輩からの情報だけを頼りに就活に取り組んだ。
今までロクに勉強もしてこなかった人間が、企業の面接になった瞬間に「大学ではチームで動くことの重要性を感じまして〜」と嘘に嘘を塗り固めて語り始める。
面接官もアホではないので、この手の大学生は死ぬほど見てきていると言わんばかりに、ことごとく落とされていく。
2016年:社会の歯車感に絶望する社会人1年目
奇跡的に一社だけ受かった「商社」に、何も考えずに入社した。
ちなみに、商社が何をする会社なのか理解できたのは入社して3ヶ月が経った頃だった。知らない人の為に言っておくと、ただの転売ヤーである。
たまたま僕が入った会社は地元でも有名な企業で、両親や恋人も「いい会社に入った。将来安泰だね。」と最高に褒めてくれた。
確かに新卒で年収は500万だったし、30代中盤で年収1000万超えも確約されるような会社だった。
しかし、労働環境が圧倒的にブラック。
8時始業で深夜1時に退勤して「今日はワンオクロックだったぜ・・・」とよくわからないことを言っている同期もいたし、上司に毎日詰められて10円ハゲができる先輩はいたし、労働基準法を完全に無視した会社だった。
そもそも、仕事内容に1mmも興味もない。
入社初月でいきなり先輩にガン詰めされて心が病んで退職する同期を見て、「ここはダメかもしれない」とうっすら気づき始める。
おまけに僕が配属された部署は名古屋から車で1時間以上かかる僻地で、事務所の真上にある独身寮に入居することになる。出勤時間はエレベーターで20秒。文字通り、監獄である。
そこに配属された同期は5人いて、毎晩誰かの部屋に集まっては酒を飲み交わし、「こんなクソみたいな会社は絶対に辞めてやる」と息巻いていた。
※ちなみにこの5人の同期は本当に全員辞めた。
「年収500万もらえればいいじゃん」と色々な人に言われたが、続かなかったら何の意味もない。高収入を補っても余りあるブラックさだった。
大企業であるが故の「誰がやっても変わらない仕事」を淡々とこなす毎日。否めない社会の歯車感。
機械工具系の商社であったため、取り扱っていた「ベアリング」という部品を見つめながら、「俺はこれで、これは俺だな・・・」と世迷言を言うくらいには疲れていた。

この時の楽しみは華金だけで、1週間の進み方は以下の無限ループだった。
月曜:死んだ目でゾンビのように働く
火曜:死んだ目でゾンビのように働く
水曜:死んだ目でゾンビのように働く
木曜:翌日が金曜なので少し元気になるが、死んだ目は変わらない
金曜:午後あたりから陽気になり、夜の街に繰り出して無双する
土曜:昼くらいから来週の仕事を考えてしまい鬱になる
満点青空レストランが始まると発作が起きる
日曜:完全に鬱、サザエさんは正気で見れない
金曜日の夜〜土曜の昼までだけを楽しみに頑張る無限ループだった。
つまり1週間(7日間)のうち1日くらいしか楽しみがないわけで、人生の中で楽しいのは生きている時間の7分の1だけだった。
さすがにこれから先の40年以上を考えた時に、僕の中にその生活を受け入れるという選択肢はなかった。
どれだけお金がもらえようが、こんな人間としての営みすら許されないような会社なら、こっちから願い下げだと思ったのである。
2017年:バイナリーオプションで人生初の挫折
しかし、この地獄から抜け出すには、何かしらの手段でお金を莫大に稼がなければいけなっかった。
そう考えている時に、インスタで「タワマン最高!ウブロ最高!ベンツ最高!グヘヘ」みたいな投稿をしている同世代くらいの若者たちを見つけ、連絡を取る。
どうやら、話を聞くと「バイナリーオプション」というもので稼いでいるようだった。
大学時代によく見ていたウェイウェイ系男子だったので、
と思い、取り組んだ。
バイナリーオプションとは、為替を利用した投資系の手法でFXのようなものである。

為替が1分後に上がるか下がるかを当てるゲームで、1分で18万円稼げる時もあれば、1分で20万円を失ったりするような死のゲーム。
インスタで知り合った人から50万円程で自動売買のツールを購入し、本気で人生を変えるつもりで取り組んだ。
結果的に、当時付き合っていた彼女との結婚式費用で貯めていた150万円を全て溶かすことになる。
しっかり詐欺だったのだ。
後からわかったことだが、ウブロもシャンパンも札束も全部偽物だった。完全に情報弱者として狩られたのである。
この文章を書いていたら当時を思い出して少しお腹が痛くなってきたので、この辺りでやめておこうと思う。
今まで優秀な家系のバグとして生きてはきたけれど、これほどの失敗は経験したことがなかったので普通に泣きそうになった。
今まで心のどこかで「自分はエリート家系だし何だかんだスゴイ奴だろ」と思っていたが、ここで「自分は何の変哲もない底辺だ」ということに気づく。
流石に「もう首を吊ろうかな…」とリアルに思ったし、ぶつけようのない怒りや悔しさが込み上げてきて、仕事を2〜3日休んで家で体育座りをする日が続いた。
2018年:せどりで月50万以上を稼ぎ、念願の脱サラ
しかし、どこかで見た「失敗はそのままにしておけば失敗だけど、最後に成功すれば全てが布石になる」的な名言が、僕をもう一度奮い立たせた。
そこで、色々稼ぐ手法を調べていく中でせどりに辿り着いた。
「せどりって転売でしょ?何かグレーっぽいしダサいし嫌だな」と思っていたが、ここで自分の本業(商社)がそもそも転売ヤーであるという最大の盲点にようやく気づく。
そこからは狂ったように「せどり」にのめり込んでいった。
バイナリーでは独学で失敗したので今度は誰かに習おうと思い、
・千葉県在住
・元トラックドライバー
・電脳せどりだけで家族5人を養う
という人をネットで見つける。
確信を持った僕はその方の住む千葉県まで愛知県から会いに行き、直接指導をお願いすることで、人生初のメンターと出会うことになる。
実際にメンターの自宅で作業させて頂く機会もあり、死ぬ気でやり過ぎて作業中に寝落ちしたことも。

コンサルフィーは当時の給料3ヶ月分(60万)だったが、僕は秒で決意した。
せどり自体が稼げることは本業で身に染みてわかっていたし、ここで結果を出せば地獄の会社員生活から抜け出せると思ったからだ。
結果的に、これが大正解だった。
本業もサボりにサボり、全てを懸けて副業にコミットすることで、副業のせどりだけで月に50万円を稼ぐことに成功した。
冷静に考えれば、今まで部活も勉強も誰かに習ってくるのが当たり前だったのに、ビジネスになった瞬間に1人で頑張ろうとしていたのは愚かの極みだった。
その半年後には年商5000万を超えるようなレベルまで成長させて、このタイミングで念願の脱サラを果たすことになる。
2019年:情報発信を始めるも間違った努力を重ねて地獄を経験
しかし、僕の念願の脱サラLIFEも長くは続かなかった。
脱サラした直後はせどりにも真剣に取り組めて最高月利は120万円を超えたりもしたが、次第に脱サラしたことで自由になったと勘違いしてしまい、朝からハイボールを飲んだりしてダラけ始めたのだった。
一時はせどりの収入も20万円程に落ち込むところまでいってしまった。
流石に結婚もしていたのでマズいと思ってせどりを真面目に再開しようとするも、そもそもせどりはお金を稼ぐためだけに始めたに過ぎなかったので、正直やる気が全く起きなかった。
そこで今後の方向性に関して真剣に考え始めた。
せどりよりも情報発信の方が儲かるじゃん、というのは前々から知っていたので、それまでは副業で時間もなかったので避けていたが情報発信を始めることにした。
しかし、ここで問題発生である。
シンプルに僕の頭が悪過ぎたうえに文才もなさ過ぎて、開始3日目くらいで泣きそうになってしまうのだった。
HTMLなどの専門用語を見て拒否反応が出てしまいPCをそのまま閉じることは数え切れないくらいあった。
これは流石にに独学では話にならん。と思い、100万円の情報発信コンサルティングを受けるも、そこで教えられたのは「ブログ記事をたくさん書きましょう」という現代では珍しい脳筋体育会系理論だった。
しかし、当時の僕は情弱だったので何の疑いもせずに
とか言って死ぬ気で頑張り「ブログ300記事・メルマガ150通以上」を書くが、無事に1円も稼げないという地獄を経験することになる。
この時期は本当に辛かった。ぶっちゃけ部屋で1人で泣いてた。
2020年:真のメンターと出会い「情報発信=難しい・時間がかかる」という概念が崩壊
正直この時に情報発信で稼ぐことを諦めかけたが、しぶとさだけがウリの僕は新しいメンターを探し始めることにした。
すると、ひょんなことから元アフィリエイターで僕より歳下にも関わらず、年間で億以上の利益を稼ぎ出すWebマーケッターと出会うことができた。
(※マーケッターは情報発信を極めた人みたいなイメージで上位互換的な感じ)
初めはその人のメルマガを読んでいただけだったのだが、その段階で既に「自分がブログを死ぬほど書いているのに稼げない理由」が一撃で解決してしまっていたので、直感的に「この人だ…!」となりコンサルを申し込んだ。
いわゆる億超え(利益)の人なのでコンサルフィーも異次元に高かった(◯百万円)のだが、正直言って将来性やリターンを考えれば安過ぎたので即決だった。
そのメンターから受け継いだ情報発信スキルは「人間の本能」に沿ったテクニックがメインだったので、ぶっちゃけ一瞬で成果が出てしまった。
それまではブログを書きまくっていたりもしたので「情報発信=難しい・時間がかかる」という思い込みもあったのだが、指導を受け始めてから3ヶ月で月収100万円を超え、半年が経つ頃には月収200万円を超えていた。
この時は
・せどり
・せどりコンサルティング
・せどりコミュニティ運営
という内訳で稼いでいた。
せどりも外注化していたし、コミュニティメンバーもいい感じに育ってきて時間にゆとりも出てきて、僕はかなり天狗になっていた。鼻は多分2kmくらい先まで伸びていた。
もう人生アガったな。と思い、とりあえず自由っぽいことをたくさんした。
平日から海鮮を食べるためだけに家族で北海道に飛んでみたり。

奥さんにヨギボー(人をダメにする高級クッション)を2つ一気にプレゼントしたり。(今は娘の遊具になり下がっている)

イタリア産の高級生地を使ったセットアップのスーツを3着まとめ買いして、厨二病全開で10万のスーツの裏地に「社長」と刺繍を入れたり。

他にも、学生時代の友人が経営するピラティススタジオに1回1万円払ってレッスンを受けてみたり。

経営者仲間とコテージに死ぬほど泊まってみたり。

というような感じで、しばらく遊び呆けていた。
・・・が、ある時に突然不安が襲ってきた。
「この収入っていつまで続くんだ?」
「ってか、僕はいつまでせどりをするんだ?」
今は情報発信で稼げてはいるけど、これって全てせどりが起点になっているから「せどりで稼げなくなったら全ての収入が途絶える」ということに気づいたのだった。
せどりをやっていないエアプせどらー状態でコンサルをしたりする輩もこの業界にはたくさんいるが、僕はそんなダサい真似は絶対にできなかった。
だってそれは、結局教えられた人が不幸になってしまうだけだから。そんなのビジネスではない。詐欺だ。
だから、ビジネスマンとしてのレベルアップをしたいという思いも込めて、月利200万円を超えていたせどり関連の事業を全てぶっ壊すことにした。
Amazonのアカウントにあった在庫も全部格安で売り捌いた。
コミュニティも何期も続けるつもりだったが、その期だけで解散することにした。
せどりのコンサルティングも全て断った。
そう思い、当時仲の良かったせどり系の知人たちからの猛反対を押し除け、僕は全てを捨てて家族もいたのに無収入になったのだった。
2021年:せどり情報発信の指導をメインに復活、月収300万円を超えてV字回復
そこから文字通りゼロから再起をかけて出発をした。
しかし、ぶっちゃけ僕にはイケる気しかしていなかった。
何故なら、それだけ億超えWebマーケッターから受け継いだ情報発信スキルに自信があったので、何度だってやり直せる自信がついていたのだ。
(※このマーケッターはもう裏に潜っていて何をしているか僕にもわからない)
基本的に「情報発信を教えること」だけを収入源にしようと思った。
そうすればAmazonなどのプラットフォーム依存もないし、在庫を積む必要もないし、利益率の低さに悩む心配もない、そう感じたからである。
何より脳ミソが商品になるので外部の影響を受けないから安定するのが魅力的だった。
おまけに情報発信やマーケティングのスキルは時代的にも追い風で求めている人や会社も多かったので、ビジネスマンとしてレベルアップするならこれしかないと感じてもいた。
それが大当たりで、せどり系の情報発信者への指導をメインに地道に活動をしていき、あっという間に月収300万円を超えることができたのだった。
教え子も中卒の闇の住人のようなアングラの人から65歳のオッチャンまでと幅広いが、成果を出してくれる人も続出して幸せだった。
そこから縁あって、日本一のピラティストレーナーのSNS運用をしたり、エステサロンのプロデュースをしたり、情報発信スキルを活かして色々な活動もするようにもなった。
せどりから軸足を抜いたことで「僕という人間」の市場価値が高まっていたのだ。
せどりをやっていた頃はAmazonからのメールや通知が来るたびにビクビクしていたが、今では本気で何が起きても復活できる自信がついたので、心が本当に安定するようになった。
毎日の売上に一喜一憂することもない。来月の仕入れを心配する必要もない。
本当の意味での自由を手に入れたと感じることができて幸せな毎日である。
とは言っても満足しているなんてことは1mmもなく、実際にメンターが億超えをしているので僕もそこは最低ラインで到達したいと考えていて、今はWeb広告の完全自動化を構築中である。
これが完成したらネットビジネス自体を完全に引退してしまう可能性が高いので、その後はやりたいビジネスだけを色々やっていこうと思う。
個人的には保護犬を救う活動だったり、スポーツ選手のセカンドライフを支援する活動だったり、日本の文化を伝える活動とかもやってみたいと考えている。
やりたいことがあり過ぎるので、より一層頑張っていこうと思う。
これが、副業を始めてから今に至るまでの僕のストーリーである。
さいごに:せどりから情報発信を学んで僕と一緒に更に高いところへ
さて、ここまで読んで頂きありがとうございました。
僕が2億円以上売ってコミュニティとかもやっていたせどりを完全に引退して、そこから情報発信だけで月収300万を超えるまでの経緯をプロフィール調でお伝えしてきました。
あなたはどう感じましたか?
「せどりだけで稼いでいる状態が不安定」のようなニュアンスの話もあったと思うので、もし気を悪くしてしまった人がいたら大変申し訳ございません。
僕自信がせどりに人生を変えてもらった人間でもあるので、せどりには本当に感謝をしています。
でも、そんな僕だからこそ最後に伝えたいことがあります。
せどりで稼げるようになったことは本当に凄いです。継続や努力の賜物だし、多くの人が挫折していく中で成果を出す人は一握りです。
だからこそ、そこで満足せずにもっともっと「1人のビジネスマン・経営者」としてステップアップしていってほしいと願っています。
人間はホメオスタシスという機能が備わっているので本能的にすぐに甘えてしまいますよね。僕も気付けばすぐに現状維持を続けようとします。
でも、やっぱり立ち止まったらそこまでなんです。
せどりから進む道は大きく2つに分かれていて「組織化して物販会社の経営」か、

僕のような「情報発信・マーケッター路線」の二択になると思います。

組織化の物販会社は確かに社員や従業員も多く抱えて「いわゆる会社の社長」的なポジションになれるので、そこに魅力を感じる人はそちらに進む方がいいと思います。
ただ、億単位での融資や固定費の高さなどのデメリットもあるのでご注意を。
僕のように「裏でヒッソリと爆儲けするのが好き」だったり、PC1台と脳ミソだけを武器に戦うことで「誰にも邪魔できない真の自由を得たい人」などは、情報発信路線の方が向いていると思います。
社員ゼロで年間1億円以上の利益を目指せますし、そうなれば本当にお金を稼ぐ必要が人生から消え去りますから、自由気ままに生きていけます。
その先で社員を抱えたりしていけばいいな〜とも思っていますので、僕も数年先にWebマーケティング会社を立ち上げる構想まで出来上がってきています。
情報発信の路線に興味がある人は、情報発信のプロフェッショナルである僕のブログをぜひチェックしてみてください。他の記事でも高額コンサルを受けるより有益な情報をたくさん詰め込んでいます。
そして最後に、情報発信に興味はあるけど「自分にもできるのかな?時間がかかりそうだし難しそうだな…」と感じている人に向けて、アドバイスをして終わろうと思います。
情報発信で稼ぐためには才能もスキルも必要ありません。国語力も文才もいりません。ましてや大量にブログやSNSを更新する根性論的なことは完全に無駄です。
情報発信で稼ぐために必要なのは、「正しい知識」だけです。
この正しい知識さえあれば開始初月から稼ぐことだってできます。実際に僕が開始3ヶ月で月収100万を超えましたし、教え子もそれくらいの実績を出しているので検証済です。
情報発信で稼いでみたいけど「自分にはできない」と思って諦めないでください。
家庭でバグと呼ばれていた僕にもできたし、中卒の僕の教え子でもできているんですよ。日本語が喋れれば絶対にイケると僕は確信しています。
情報発信は本当に素晴らしい世界です。稼げるうえに一生モノの仲間もできる。
あなたは何のためにビジネスを始めましたか?
あなたは何のためにビジネスを続けますか?
ぜひ、あなたの人生に「情報発信」という選択肢を持って頂ければ幸いです。
それではここまで読んで頂き、改めてありがとうございました。
このご縁がかけがえのないものになりますように。
Yusuke.