副業

「Fラン大卒から月利300万円を超えた経緯」と「情報発信を教えている理由・理念」をまとめてみた

こんにちは、Yusukeと申します。

このページでは、僕が「Fラン大卒から月利300万円を超えた経緯」と、そこから「情報発信を教えている理由・理念」ついてまとめました。

最初に、30秒くらいで僕のことがわかるように説明させて頂くと以下のような感じです。

■愛知県にあるFラン大学を卒業して大手商社に入社するも、社会人2ヶ月目で脱サラを決意

■一発逆転セミリタイヤを狙いバイナリーオプションに貯金150万円を突っ込むも、全て溶かし無事死亡(圧倒的涙目)

■地に足つけた商売をしようと思い、商社マンということもあり転売に目をつける

■転売だけで家族5人を10年以上養い続ける元トラック運転手のメンターに出会い、弟子入りをする

■睡眠時間3時間という極限の状態で副業に取り組み、半年で副業月収50万円、年商6000万を超えて25歳の時に脱サラ

■シンプルにもっと稼ぎたいと思い、転売の情報発信を始める

■ブログ300記事・メルマガ150通以上を気合いで書くも、全く稼げず涙目になり深夜に1人部屋で号泣する(黒歴史)

■20代で“億”を稼ぐ天才Webマーケッターと出会い、「人間の脳に基づいた本質的な情報発信スキル」を継承され、情報発信の成果が出始める

■転売のコンサルティングやコミュニティ運営を始めて月収200万円を超えて天狗になる

■更にステージを上げたいと考え、転売を組織化して事務所を借りたり従業員を雇うことも考えるが「それはなんか違う」となる

■ここで自分の「起業した理由」をもう一度思い返してみると、大きい会社の社長になるよりも“個人にスキルをつけて自由に生きたかっただけだ”と気づく

■そう考えた時に、自分の理想を叶えるのは「情報発信ビジネス」と確信をしてフルコミットを誓う

情報発信ビジネスで稼ぐには「商品やサービスに興味のある見込客を集めて売る」という、いわゆる“マーケティング思考”が身につくので、これを極めたら自分という人間の市場価値も上がってお金には困らないことも確信する

■おまけに情報発信では「お客様の望み」を叶えることこそが最も必要な思考であり、この感覚をデフォルトにできれば人としての魅力も高まり、“シンプルに女の子にもモテるはずだ”と感じ、更にやる気が出る

■転売関連の事業全てを引退し、一度は収入がゼロになるも情報発信の指導者となり月収300万円を超えるまでに復活

転売系の情報発信者だけでなく、アフィリエイト、ギター、占い、コーチングなど、他ジャンルの発信者のクライアントも抱える、脱サラする人や月収7〜8桁を超える人が続出する

■更にステージを上げようとWeb広告(主にYoutube広告,リスティング広告)の研究や法人コンサル(サロンやトレーナー等)もしながら鋭意奮闘中

■生活面では、大学時代から10年目の付き合いになる奥さんと2歳の娘のATMを担当しながら、35歳までにFIREを目標にしている

 

簡単にまとめると、以上です。

僕は「せどり転売」からインターネットビジネスに参入し、その後「情報発信」の世界に足を踏み入れました。

これまでにPC1代で3000万円以上の収益を生み出してきました。

我ながらかなり濃密な20代前半だったと思います。

・・・ただ、僕は元々本当にロクでもない人間でした。人に誇れる人生なんて送ってきていません。

でも、そんな僕が「ゼロからどうやってここまで来たのか?」を伝えることによって、あなたの背中を押す材料になるかなと思いましたので、少しだけ僕の人生を詳しく伝えていきますね。

幼少期:超優秀家系の「バグ」として育つ

1993年に静岡県静岡市で生まれ、男三人兄弟の末っ子として育つ。

実際は無宗教だが近所のキリスト系幼稚園に通い、週2回はチャペル(教会のような施設)で礼拝をするという幼少期を送っていた。

当時は礼拝の意味がわからず、お祈りに使うペンライトを振り回してぶん投げるという習性があった為、ペアの女の子はいつも「こいつ頭おかしいのか?」と言わんばかりにこちらを見ていた。

僕は家が貧乏とか、コミュ障とか、友達がいなかったとか、ネットビジネス界隈にありがちな“コンプレックス系の初期設定”は1つも持ち合わせていない。

何なら父親は年収1200万のエリートサラリーマンだったし、親戚は5人兄弟のうち4人が東大だったり、上場企業の会長だったり、一般家庭の中ではかなり上流家系だった。

 

兄たちも学生時代から生徒会長をやるような人間で、スポーツ万能、頭脳明晰。顔は2人ともゴリラだがそれ以外は全て持っているハイスペだった。

今は医療機関で国家公務員として働いている。

しかし、そんなエリート兄弟に反発をするように、僕だけが落ちこぼれていくのであった。

人様に言えるようなコンプレックスではないにしろ、やはり兄弟が優秀だと勝手に比較されたりもするので、シンプルにそれが嫌で勝手にエリート路線からフェードアウトしていったイメージだ。

 

学習塾やスポーツ教室などの習い事は少なく見積もっても10回以上は辞めているし、中学校代は悪友とコンビニでカップ麺を食べていたら深夜徘徊で補導されてしまったり、家族からは「バグ」と呼ばれてここまで生きてきた。

両親は優しかったのであまり怒らなかったが、その代わりに兄たちからの言葉と力による圧力は日々続いた。

特に次男は人の心が欠けているサイコ野郎で、「お前は橋の下で拾われてきたんだよ」と真顔で言って詰めてくるような男だった。

何度もシバきたいと思い立ち向かったが、兄の握力は65以上あったので返り討ちに遭うしかなかった。

この頃の友達は飼い犬のジュンだけだった。犬小屋で一緒に寝たことも何回もある。

今でも帰省をするとお婆ちゃんの墓参りには行かないがジュンの墓参りだけは徹底して行っている。ありがとう、ジュン。

はぁ、本当にかわいい。ジュン。

高校時代:先輩にパシられまくり社会の厳しさを知る

真面目で優秀な兄たちは県内トップレベルの公立校に行くも、僕はしっかり受験に失敗して滑り止めの私立高校に通うことになる。

たまたま入った高校のバレーボール部が県ベスト4常連という強豪で、当時身長162cmのチビガリだった僕は、190cm以上もある大男の先輩たちに目をつけられてパシられまくる毎日だった。

当時、僕らの世代で流行っていた「MATCH(マッチ)」という炭酸飲料があった。

運動の後に飲むと悪魔的なウマさを誇るこのドリンクを、部室から一番遠い自販機まで行って時間内に買って来れなければボコボコにされるというシステムだった。

時間を過ぎてしまうと握力70kg以上もある怪物に本気で殴られるので、毎日死ぬ気でパシられていた。時間に間に合ってもボコられるので今思えば訴訟案件である。

 

他にも、わざわざ教員専用の通用口を通るという条件付きで吉野家を買いに行かされるというタスクを振られ、結局柔道部の顧問に見つかりボコボコにされたり。

遠征合宿でマリオパーティというゲームを夜通しやらされてオールさせられたり、顔にサラミを延々と塗り続けられたり、今思えば笑い話だが本当に地獄の高校時代だった。

何度も言うが、今なら確実に訴訟案件である。

2012年:クズ大学生の模範となる生活を送る

両親のお金で遊べる最後の夢の時間を楽しみに、愛知県にあるFラン大学に進学した。

「地元を離れてデッケー男になる」と周囲に豪語して県外に出るも、ひどいホームシックに陥り1年生の半年くらいは月イチペースで帰省をするというオチ。本当に恥ずかしい。

しかし、次第に大学でも友達ができてきてホームシックもなくなると、持ち前のロクでなさを遺憾なく発揮し、クズ大学生の模範的なライフスタイルを確立

酒・タバコに溺れて授業をサボる。バイトとサークルだけはちゃんと行く。講義はチーム戦で出席点を確保しにいく。全国の大学生の9.9割がこの生活リズムと言われている。

しかし、大学時代に出会った友人たちは本当に愉快だった。

図書館の会議室を貸し切って「どうすれば社会人の歳上お姉さんのヒモになれるか?」を講義してくれるサッカー全国区の友人がいたり、

大学に来てタバコだけ吸って帰る「学校を喫煙所だと勘違いしている」友人も数え切れない程いた。

 

この大学生活で得たことは、

・コンビニ弁当の廃棄のもらい方
・裏インターネットカジノで一晩で300万溶かす方法
・イッキの仕方とゲ○の吐き方

くらいのもので、年間120万という学費を親に払ってもらっているとは思えない程のしょうもなさである。今でも親父にはチクチク言われる。

 

そんなこんなで大学生活も終わり、ついに地獄の就職活動が始まることになる。

これまでの学生生活を通して僕は

Yusuke
Yusuke
人生の最大目標は「モテること」である

と強い信念を持っていた。

 

なので、「商社マンはモテるらしいぞ」という先輩からの情報を頼りに就活に取り組んだ。

今までロクに勉強もしてこなかった人間が、企業の面接になった瞬間に「大学ではサークル長としてチーム運営に尽力しまして〜」とか言い始めるので非常に愉快である。

しかし面接官もアホではないので、この手の大学生は死ぬほど見てきていると言わんばかりにことごとく落とされていく。

2016年:社会の歯車感に絶望する社会人1年目

奇跡的に一社だけ受かった「商社」に何も考えずに入社した。

ちなみに、商社が何をする会社なのか理解できたのは入社して3ヶ月が経った頃だった。知らない人の為に言っておくと、ただの“規模感の大きい転売ヤー企業”である。他社製品を横流しにするという仕組み自体は何も変わらない。

たまたま僕が入った会社は地元でも有名な企業で、両親や恋人も「いい会社に入った。将来安泰だね。」と最高に褒めてくれた。

 

確かに新卒で年収は500万だったし、30代中盤で年収1000万超えも確約されるような会社だった。

しかし、労働環境が圧倒的にブラック

 

8時始業で深夜1時に退勤して「今日はワンオクロックだったぜ・・・」とよくわからないことを言っている同期もいたし、上司に毎日詰められて10円ハゲができる先輩はいたし、労働基準法を完全に無視した会社だった。

と言うか、社会人あるあるだと思うのだが、そもそも仕事内容に1mmも興味がない。

入社初月でいきなり先輩にガン詰めされて心が病んで退職する同期を見て、「ここはダメかもしれない」とうっすら気づき始める。

 

おまけに僕が配属された部署は名古屋から車で1時間以上かかる僻地で、事務所の真上にある独身寮に入居することになる。出勤時間はエレベーターで20秒。文字通り、監獄である。

そこに配属された同期は5人いて、毎晩誰かの部屋に集まっては酒を飲み交わし、「こんなクソみたいな会社は絶対に辞めてやる」と息巻いていた。

※ちなみにこの5人の同期は本当に全員辞めた。

余談だが、同じ独身寮に住んでいた中国人の先輩がある日いきなり消えたことには驚いた。部屋には1枚の紙があり「探さないでください」と書いてあった。笑えるが、笑えない。そんな感じだ。

 

僕も辞めたい気持ちが高まるも、「年収500万もらえればいいじゃん」と色々な人に言われたが続かなかったら何の意味もない。高収入を補っても余りあるブラックさだった。

大企業であるが故の「誰がやっても変わらない仕事」を淡々とこなす毎日。否めない社会の歯車感。

機械工具系の商社であったため、取り扱っていた「ベアリング」という部品を見つめながら、「俺はこれで、これは俺だな・・・」と世迷言を言うくらいには疲れていた。

 

この時の楽しみは華金だけで、1週間の進み方は以下の無限ループだった。

月曜:死んだ目でゾンビのように働く
火曜:死んだ目でゾンビのように働く
水曜:死んだ目でゾンビのように働く
木曜:翌日が金曜なので少し元気になるが、死んだ目は変わらない
金曜:午後あたりから陽気になり、夜の街に繰り出して無双する
土曜:昼くらいから来週の仕事を考えてしまい鬱になる
   満点青空レストランが始まると発作が起きる
日曜:完全に鬱、サザエさんは正気で見れない

金曜日の夜〜土曜の昼までだけを楽しみに頑張る無限ループだった。

つまり1週間(7日間)のうち1日くらいしか楽しみがないわけで、人生の中で楽しいのは生きている時間の7分の1だけだった。

さすがにこれから先の40年以上を考えた時に、僕の中にその生活を受け入れるという選択肢はなかった。

どれだけお金がもらえようが、こんな人間としての営みすら許されないような会社なら、こっちから願い下げだと思ったのである。

2017年:バイナリーオプションで人生初の挫折

しかし、この地獄から抜け出すには、何かしらの手段でお金を莫大に稼がなければいけなっかった。

そう考えている時に、インスタで「タワマン最高!ウブロ最高!ベンツ最高!グヘヘ」みたいな投稿をしている同世代くらいの若者たちを見つけ、連絡を取る。

 

どうやら、話を聞くと「バイナリーオプション」というもので稼いでいるようだった。

大学時代によく見ていたウェイウェイ系男子だったので、

Yusuke
Yusuke
こんな人たちで稼げるなら僕でも余裕だな

と思い、取り組んだ。

 

バイナリーオプションとは、為替を利用した投資系の手法でFXのようなものである。

為替が1分後に上がるか下がるかを当てるゲームで、1分で18万円稼げる時もあれば、1分で20万円を失ったりするような死のゲーム。

インスタで知り合った人から50万円程で自動売買のツールを購入し、本気で人生を変えるつもりで取り組んだ。

結果的に、当時付き合っていた彼女との結婚式費用で貯めていた150万円を全て溶かすことになる。

 

しっかり詐欺だったのだ。

 

後からわかったことだが、ウブロもシャンパンも札束も全部偽物だった。完全に情報弱者として狩られたのである。

この文章を書いていたら当時を思い出して少しお腹が痛くなってきたので、この辺りでやめておこうと思う。

 

今まで優秀な家系のバグとして生きてはきたけれど、これほどの失敗は経験したことがなかったので普通に泣きそうになった。

今まで心のどこかで「自分はエリート家系だし何だかんだスゴイ奴だろ」と思っていたが、ここで「自分は何の変哲もない底辺だ」ということに気づく。

流石に「もう首を吊ろうかな…」とリアルに思ったし、ぶつけようのない怒りや悔しさが込み上げてきて、仕事を2〜3日休んで家で体育座りをする日が続いた。

2018年:転売で月50万以上を稼ぎ、念願の脱サラ

しかし、どこかで見た「失敗はそのままにしておけば失敗だけど、最後に成功すれば全てが布石になる」的な名言が、僕をもう一度奮い立たせた。

Yusuke
Yusuke
何度考えても、やっぱり会社を辞めたい

そこで、色々稼ぐ手法を調べていく中で転売に辿り着いた。

「転売?何かグレーっぽいしダサいし嫌だな」と思っていたが、ここで自分の本業(商社)がそもそも転売ヤーであるという最大の盲点にようやく気づく。

そこからは狂ったように「転売」にのめり込んでいった。

 

バイナリーでは独学で失敗したので今度は誰かに習おうと思い、

・千葉県在住
・元トラックドライバー
・転売だけで家族5人を養う

という人をネットで見つける。

確信を持った僕はその方の住む千葉県まで愛知県から会いに行き、直接指導をお願いすることで、人生初のメンターと出会うことになる。

 

実際にメンターの自宅で作業させて頂く機会もあり、死ぬ気でやり過ぎて作業中に寝落ちしたことも。

コンサルフィーは当時の給料3ヶ月分(60万)だったが、僕は秒で決意した。

転売自体が稼げることは本業の商社で身に染みてわかっていたし、ここで結果を出せば地獄の会社員生活から抜け出せると思ったからだ。

結果的に、これが大正解だった。

 

本業もサボりにサボり、全てを懸けて副業にコミットすることで、副業の転売だけで月に50万円を稼ぐことに成功した。

本業の商社(転売)で年収500万、副業の転売で年収600万、合わせて年収1000万円。

23歳で年収1000万円の「転売の申し子」がここに誕生した。

冷静に考えれば、今まで部活も勉強も誰かに習ってくるのが当たり前だったのに、ビジネスになった瞬間に1人で頑張ろうとしていたのは愚かの極みだった。

その半年後には年商5000万を超えるようなレベルまで成長させて、このタイミングで念願の脱サラを果たすことになる。

2019年:情報発信を始めるも間違った努力を重ねて地獄を経験

しかし、僕の念願の脱サラLIFEも長くは続かなかった。

脱サラした直後は転売にも真剣に取り組めて最高月利は120万円を超えたりもしたが、次第に脱サラしたことで自由になったと勘違いしてしまい、朝からハイボールを飲んだりしてダラけ始めたのだった。

一時は転売の収入も20万円程に落ち込むところまでいってしまった。

流石に結婚もしていたのでマズいと思って転売を真面目に再開しようとするも、そもそも転売はお金を稼ぐためだけに始めたに過ぎなかったので、正直やる気が全く起きなかった。

そこで今後の方向性に関して真剣に考え始めた。

転売よりも情報発信の方が儲かるじゃん、というのは前々から知っていたので、それまでは副業で時間もなかったので避けていたが情報発信を始めることにした。

しかし、ここで問題発生である。

シンプルに僕の頭が悪過ぎたうえに文才もなさ過ぎて、開始3日目くらいで泣きそうになってしまうのだった。

HTMLなどの専門用語を見て拒否反応が出てしまいPCをそのまま閉じることは数え切れないくらいあった。

これは流石にに独学では話にならん。と思い、100万円の情報発信コンサルティングを受けるも、そこで教えられたのは「ブログ記事をたくさん書きましょう」という現代では珍しい脳筋体育会系理論だった。

しかし、当時の僕は情弱だったので何の疑いもせずに

Yusuke
Yusuke
押忍!やります!

とか言って死ぬ気で頑張り「ブログ300記事・メルマガ150通以上」を書くが、無事に1円も稼げないという地獄を経験することになる。

この時期は本当に辛かった。ぶっちゃけ部屋で1人で泣いてた。

2020年:真のメンターと出会い「情報発信=難しい・時間がかかる」という概念が崩壊

正直この時に情報発信で稼ぐことを諦めかけたが、しぶとさだけがウリの僕は新しいメンターを探し始めることにした。

すると、ひょんなことから年間で億以上の利益を稼ぎ出すWebマーケッターと出会うことができた。

(※マーケッターは情報発信を極めた人みたいなイメージで情報発信を教える人の上位互換的な感じ)

初めはその人のメルマガを読んでいただけだったのだが、その段階で既に「自分がブログを死ぬほど書いているのに稼げない理由」が一撃で解決してしまっていたので、直感的に「この人だ…!」となりコンサルを申し込んだ。

いわゆる億超え(利益)の人なのでコンサルフィーも異次元に高かった(◯百万円)のだが、正直言って将来性やリターンを考えれば安過ぎたので即決だった。

そのメンターから受け継いだ情報発信スキルは「人間の本能」に沿ったテクニックがメインだったので、ぶっちゃけ一瞬で成果が出てしまった。

それまではブログを書きまくっていたりもしたので「情報発信=難しい・時間がかかる」という思い込みもあったのだが、指導を受け始めてから3ヶ月で月収100万円を超え、半年が経つ頃には月収200万円を超えていた。

この時は

・転売の収入
・転売コンサルティングの収入
・転売コミュニティ運営の収入

という内訳で稼いでいた。

転売も外注化していたし、コミュニティメンバーもいい感じに育ってきて時間にゆとりも出てきて、僕はかなり天狗になっていた。鼻は多分2kmくらい先まで伸びていた。

もう人生アガったな。と思い、とりあえず自由っぽいことをたくさんした。

 

平日から海鮮を食べるためだけに家族で北海道に飛んでみたり。

 

奥さんにヨギボー(人をダメにする高級クッション)を2つ一気にプレゼントしたり。今は娘の遊具になり下がっている

 

イタリア産の高級生地を使ったセットアップのスーツを3着まとめ買いして、厨二病全開で10万のスーツの裏地に「社長」と刺繍を入れたり。

 

他にも、学生時代の友人が経営するピラティススタジオに1回1万円払ってレッスンを受けてみたり。

 

経営者仲間とコテージに死ぬほど泊まってみたり。

というような感じで、しばらく遊び呆けていた。

 

・・・が、ある時に突然不安が襲ってきた。

「この収入っていつまで続くんだ?」
「ってか、僕はいつまで転売をするんだ?」

 

今は情報発信で稼げてはいるけど、これって全て転売が起点になっているから「転売で稼げなくなったら全ての収入が途絶える」ということに気づいたのだった。

転売をやっていないエアプ状態でコンサルをしたりする輩もこの業界にはたくさんいるが、僕はそんなダサい真似は絶対にできなかった。

だってそれは、結局教えられた人が不幸になってしまうだけだから。そんなのビジネスではない。詐欺だ。

だから、ビジネスマンとしてのレベルアップをしたいという思いも込めて月利200万円を超えていた転売関連の事業を全てぶっ壊すことにした。

Amazonのアカウントにあった在庫も全部格安で売り捌いた。

コミュニティも何期も続けるつもりだったが、その期だけで解散することにした。

転売のコンサルティングも全て断った。

Yusuke
Yusuke
もう一度ゼロからやり直そう

そう思い、当時仲の良かった転売系の知人たちからの猛反対を押し除け、僕は全てを捨てて家族もいたのに無収入になったのだった。

2021年:情報発信の指導をメインに復活、月収300万円を超えてV字回復

そこから文字通りゼロから再起をかけて出発をした。

しかし、ぶっちゃけ僕にはイケる気しかしていなかった。

何故なら、それだけ僕がこれまでに身につけた情報発信スキルには自信があったので、何度だってやり直せる自信がついていたのだ。

「情報発信を教える側に回ろう」と思った。

そうすればAmazonなどのプラットフォーム依存もないし、在庫を積む必要もないし、利益率の低さに悩む心配もない、そう感じたからである。

何より脳ミソが商品になるので外部の影響を受けないから安定するのが魅力的だった。

おまけに情報発信やマーケティングのスキルは時代的にも追い風で求めている人や会社も多かったので、ビジネスマンとしてレベルアップするならこれしかないと感じてもいた。

 

それが大当たりで、転売系の情報発信者への指導をメインに地道に活動をしていき、月収300万円を超えることができたのだった。

教え子も中卒の闇の住人のようなアングラの人から65歳のオッチャンまでと幅広いが、成果を出してくれる人も続出して幸せだった。

そこから縁あって、転売系だけでなくギター、占い、コーチングなどのクライアントからの依頼も増えてきたり、日本一のピラティストレーナーのSNS運用をしたり、エステサロンのプロデュースをしたり、情報発信スキルを活かして色々な活動もするようにもなった。

情報発信スキルを身につけたことで「僕という人間」の市場価値が高まっていたのだ。

転売をやっていた頃は一時的に稼げていても外的要因に左右される状態が続いていて、自分にスキルがついている感覚もなかったが、今は毎日の売上に一喜一憂することもなくなった。

本当の意味での自由を手に入れたと感じることができて幸せな毎日である。

とは言っても満足しているなんてことは1mmもなく、今はWeb広告の研究をしている。

これが完成したらネットビジネス自体を完全に引退してしまう可能性が高いので、その後はやりたいビジネスだけを色々やっていこうと思う。

個人的には保護犬を救う活動だったり、スポーツ選手のセカンドライフを支援する活動だったり、日本の文化を伝える活動とかもやってみたいと考えている。

やりたいことがあり過ぎるので、より一層頑張っていこうと思う。

これが、副業を始めてから今に至るまでの僕のストーリーである。

さいごに:情報発信を学んで僕と一緒に更に高いところへ

さて、ここまで読んで頂きありがとうございました。

僕がFラン大学を卒業して月収300万円を超えるまでの経緯と、情報発信を教えている理由や理念をプロフィール調でお伝えしてきました。

あなたはどう感じましたか?

このブログを読んでくれているあなたは恐らくですが、多少なりとも「情報発信」に興味がある方だと思います。

それがどのジャンルで発信をしたいのかは僕には分かりません。

僕と同じように転売出身なのか、それともアフィリエイトなのか、プログラミングなのか、動画編集なのか。

それとも占いやスピリチュアル系、恋愛、筋トレ、ダイエットといった「非稼ぐ系」なのか。

もしくは何かしらの店舗運営をしていたりするかもしれません。

それが何かはわかりませんが、情報発信やマーケティングのスキルを身につけることであなたの収入や働き方の幅は確実に広がるはずです。

 

情報発信ビジネスも言ってしまえばネット上にある「1つの稼ぎ方」ではありますが、そのスキルを習得する過程で本当に色々なものが手に入ります。

情報発信で稼ぐには「自分がこう伝えたら相手がどう思うのだろうか?」という「相手視点」で全ての物事を進めていく必要があるので、そのスタンスや思考が手に入れば、どんなビジネスでも稼げる「マーケティングスキル」が手に入ります。

そして、マーケティングスキルを習得すれば色々なことで予測が立てられるようになるので人間関係も格段に良くなり、無駄な衝突が避けられ、自分の思い通りにことが運ぶことも増えてきます。

おまけに、情報発信では自分の価値観やメッセージを発信して、そこに共感してくれた方が自分のお客様になってくれるので、気の合う仲間との出会いも待っています。

今のこの時代に、気の合う仲間と出会うことができて、多くの人に囲まれて、更にお金と時間の自由もついてくるなんて、こんなに素晴らしいビジネスモデルがあってもいいのでしょうか。

だからこそ、僕はここまで読んでくれたあなたには、ぜひ情報発信を本気で学んでほしいなと思います。

しかし、もしかしたらこう思うかもしれません。

・情報発信に興味はあるけど自分にもできるのかな?
・時間がかかりそうだし難しそうだな…

気持ちはわかります。でも安心してください。

何より僕自身が元Fラン大学卒なのでそう思っていたタイプでしたが、それでも月に300万円という収入を得られるようになりました。

情報発信で稼ぐためには才能もスキルも必要ない、国語力も文才もいらない、そんなことを僕自身が体現できていると思います。

でも、誰でも簡単に稼げるなんて甘いことも言えません。

情報発信で稼ぐためには「正しい知識」が必要です。

誰でもできますが、何もせずには到達できない。しかし、学べばいける。そんなイメージです。

じゃあその正しい知識とは何なのか?どこで手に入るのか?有料なのか?これも安心してください。

僕が運営しているメールマガジンに登録してくれた方限定で、情報発信に関する正しい知識・ノウハウを無料でプレゼントさせて頂きます。今だけ無料個別相談もつけています。

僕自身がこれまでに累計2000万円以上をかけて学んできたものを体系化してまとめたものなので、まずはこちらでジックリ学んでください。

情報発信は本当に素晴らしい世界です。稼げるうえに一生モノの仲間もできる。その過程で「人」としての魅力も高まっていく。

あなたは何のためにビジネスを始めましたか?

あなたは何のためにビジネスを続けますか?

ぜひ、あなたの人生に「情報発信」という選択肢を持って頂ければ幸いです。

それではここまで読んで頂き、改めてありがとうございました。

このご縁が、かけがえのないものになりますように。

 

Yusuke.

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