僕は1993年生まれの現在25歳です。しかも静岡県生まれ。
世間一般で言われる「ゆとり世代」超ド真ん中です。
会社でもよく言われます。
でも、僕たちだって好きでゆとり世代に生まれたわけじゃないんですよね。
僕たちという人間をこの世に生み出した神がいるならば、その方に言ってくれと思うわけですよ。
今日はその想いを伝えたくてこの記事を書いています。
まず第一に伝えたいことは、そう。
とりあえずゆとりって言っておけばすべて解決
冒頭の文章から察するに、皆様は僕が「ゆとりと言われることが嫌なタイプ」だと思ったのではないでしょうか?
良くも悪くも僕はその期待を華麗に裏切ります。
実はですね、僕はゆとりという言葉が大好きです。
なぜなら今のご時世は、何か自分に不都合なことが起きても「ゆとりなんで」と言っておけば大体解決するからです。
本当に問題が解決しているかは別として(笑)
特に目上の方々から何か言われた時に、この魔法の言葉は最も効果を発揮します。
本当に僕たちの為になるアドバイスであれば真摯に受け止めるべきですが、ただの自己防衛や古い慣習だけを理由に押し付けるアドバイスであれば耳を傾ける必要はありません。
特に僕のような新卒社会人は、目上の人の言葉すべてが「正しいこと」と誤認してしまいがちです。
それが正しいことで本当に僕たちの為になるならばいいんですけどね、現に周りの同期はドンドン会社を辞めていきますし、同い年の電〇に勤めていた女性は自殺してしまいました。
あなたも会社で叱責を受け、何か辛いことがあったりした時はデジモンテイマーズのテリアモンを思い出してください。
カワイイ笑顔で常に「無問題(モーマンタイ)」と言っていますよね。もーまんたいもーまんたい。(ゆとりゆとり。)
大体はこれで解決します。
特にドリームキラーに対して有効ですね。自分の確固たる信念は、時に善意のアドバイスでひどく揺らいだりします。
僕も今まさに会社を辞めようとしていますが、仲の良い先輩や友達は「やめとけ」と善意で言ってくれることが多いですが、全部もーまんたいなんですよ。無問題。
とりあえず返答に困ったら「ゆとりなんで」と言っておきましょう。
ハタから見ると少し感じの悪いように見えますが、大丈夫。あなたに共感してくれる人は必ずいます。
僕たちは幸か不幸か、60億分の1の確率で目の前の人間と出会っているだけです。九州男も言っています。
僕たちが「すべて」と誤認している現在の交友関係は、本当にちっぽけなものです。今まで出会った人たちだけがすべてじゃないんです。
実際に僕もインターネットを通して、本当に素晴らしい人たちと出会うことができました。それこそ一生付き合っていきたいと心から思える方々です。こんな思いは社会人になってからは初めてで衝撃を受けています。
インターネットでの出会いに抵抗を持ってしまう方も多いのではないでしょうか?
実際に僕もそのような時期がありましたが、いい加減に認めてしまいましょう。もうそのような時代に入っているのです。
思い返せば僕も、元カノはSNSのmixi繋がりでした(笑)
「ネットで出会う=なんだか怖い」という方程式はスゴく共感しますが、単純に離れた土地に住んでいる方に出会えるというプラス面にも目を向けてみませんか?
もうそういう時代なのです。自分の価値観をブッ壊す時がきました。
ワクワクできる方はぜひ、インターネットで新しい人と出会ってみましょう。
今の若いヤツは。という言葉は大嫌い
これですね。ゆとりという言葉は嫌いじゃないですが、この言葉は大嫌いです。
この言葉と同じくらい嫌いな言葉は「俺の若い頃は〇〇だった」です。
どちらかの言葉を聞くと真っ先に浮かんできますよね、「しらんがな」って。
そもそも今の若いヤツはってなんなんでしょうね。じゃああなたには若い頃はなかったんですか?と思ってしまいます。言わないですけど。
これはもう一種のオ〇ニーだと思っています。自己満足以外の何物でもない。
まあ運動部の体罰問題を目にすると僕も言ってしまいますけどね(笑)
「俺たちの頃は当たり前だった」と言ってしまいますし、人のフリ見て我がフリ直しましょうということですね。
若さは財産
社会人になると経験値が低いことなどから、上司や取引先にもナメられてしまい、自分がとても至らない人間だと卑下してしまいがちです。
これはどんなカテゴリーでも一緒ですね。学生時代の部活でもそうですし、何か新しいことを始める時にはどうしてもこの感情に陥りがちです。
もちろん知識や能力が低いという点は認め受け入れるべきですが、「自分が大した人間ではない」という感情だけは持たないでください。
誰にだって初心者の時代はあります。あのイチローだって、カズだって、初心者で下手糞な時代があったんです。
仕事でミスをして取引先にしこたま怒られた時、上司に怒られた時、反省はモチロン必要です。しかしそこでショゲて「俺はもうダメだ」なんて思う必要はありません。次に生かせればそれでいいんですよ。
ミスという事実は消せないですからね。考えたってしょうがない。
怒られるうちが華とはよく言ったものです。
「知らないことは恥ではない」ということだけは覚えておきましょう。むしろ可能性を秘めているという点では、本当に未来しかないはずです。
今日という日は、残された人生で1番若い日。
僕たちはいつ死ぬかわかりません。であれば、毎日を何気なく過ごすのは本当にもったいない。人間に平等に与えられた「寿命」をしっかりと意識し、毎日を濃密に過ごしていきましょう。
何か新しいことを始めるには恐怖がつきものです。しかし怖いということは生きているということ。
僕たちの人生は一度きりしかないのですから、死ぬときに笑って逝けるように、日々を精一杯生きましょう。